“社内のあるミーティングで、
「企画力とかって、問わないほうがいいんじゃないか」
という意見があった。
ほう、そりゃまた大胆なご意見
‥‥と思ったけど、続けていわく。
「ひとりが、これはいい企画だって出すものって、
年に1本とか2本とか、そういうものですよね。
企画って、集めようとしても出てきたことないです。
なんだかふわふわした、逆によくありそうなことを、
こんな企画はどうでしょうって言われても、
なんかどうしょうもないんですよね」
たしかに、そういうことは言える。すっごい企画というものを、提案されたことがあったか?
”
「よくありそうな思いつき」が、
運よく実行力のあるチームの目にとまって、
叩かれたり、伸ばされたり、ひねられたりして、
やっとおもしろいものとして実現するくらいだろう。
逆に、「企画」なんて立派な名前がなくても、
「相撲って、もっとおもしろかったよね」だとか、
「このことって、困ってない?」とか、
「あれ、なんでつまらなくなったの?」とか、
なにかを感じて、それについてわいわいと、
どうにかしたいと話し合って、
考えをごろごろ転がしているほうがなにかが生める。
ふつうの人として「感じる」ことと、
感じたことを話し合って「転がす」ことができること。
これがあったら、たしかに
「企画力があります」なんて能力はいらないかもよー。
よくよく考えてみれば、iPodにしてもiPhoneにしても、
「どういうのがほしいんだろう」というお題を、
真剣に「パス回し」して出来たもの、とも言えるよね。
むろん、ひとりが考え抜いた起爆力というものも、
ないわけじゃないのだけれど、
いま、ほしいのは「企画力という<能力>じゃなく、
「感じる&転がす」の<性質>かもしれないね。
弊社には、結果としての「企画」はありますが、
それは「企画力」の結果ではありません‥‥かもね。