“二人の被実験者、それぞれの前に、ブザーがある。
これを、二人とも3分間押さなければ1000円もらえる。
しかし、相手に先にブザーを押されてしまったら、
先に押した相手だけが1000円をもらえることになり、
押されたほうはなにももらえない。
ブザーを押すには、参加費として100円払う。
そういうルールなのだそうです。これ、二人とも、なにもしなければ、
”
自動的に1000円ずつもらえるはずですよね。
ブザーを押すのにかかる100円も必要ない。
だけど、相手のことを疑うと、
「あいつ、100円払って、先に押すんじゃないか」
という不信感から、じぶんのほうが先に押さなきゃと、
ブザーを押してしまうことが、
30%くらいの確率であるのだそうです。
(この実験については、ぼくの記憶で書いているので、
多少ちがう部分があったらごめんなさい)
なにもしないで利益を得られるという最善手があるのに、
相手への「不信」という要素が入ると、
意味のない悲劇の場面を選択してしまう。
こんなケース、わりと、あちこちにありそうです。
「不信」は、じぶんが相手を信じないことからはじまる
‥‥というよりも、
相手がじぶんに「不信」を抱いているかも‥‥という
受け身的な気分が引き金になる場合も多いです。
いま、あちこちで起きている
「不信」を元にした争いのことを、考えざるを得ません。